48歳になった記念にブログ始めました

長文の時、Twitterでの投稿がえげつなくなるので、こちらに。

私の両親の話だから、時間と興味のある方以外は注意です😩

 

昭和11年8月15日樺太生まれの父に、樺太引き揚げ船の事中心に、少し話をきけました。

父の父(祖父)が、もともと王子製紙で働いていて、希望して樺太に渡ったとの事。

禁止されていたけど川の鮭を獲っていたら、まだ子供の父に、酔っ払っている当時のソ連兵が威嚇射撃してきた事😱(今でも父は鮭が大好き)

終戦直後、その土地を離れる時に乗った汽車の一つ前に発車した汽車が爆撃受けた事😱

引き揚げ船は、日本の大きな船で、牛ぎゅう詰めではなかったと。

船に乗る前に、皆、シラミの薬(DDT👿 https://ja.wikipedia.org/wiki/DDT

)を散布された事😱

戦時中は、日本兵が、中国の農家を襲って鎌で首を切り落としていた、という話を父の叔父から聞いた事があるそう😣

A級戦犯の墓はわけないといけないのに、あいつらわけないで靖国参拝しちゃだめだ、って父も言ってます。

昭和5年生まれで姉さん女房の母からは、生前、空襲の話を時々聞きました。

父と母は、富士市の遠藤建設という会社で働いていて結婚。結婚は会社に反対されたそう。

なぜ、会社が反対!?と聞いたら…

父は、会社の得意先の娘さんとの縁談を勧められていて、母は当時の県知事に気に入られていて、秘書として働く話があったそう😲しかも、母は社長の親戚で、

父が指をつめるから結婚させてくれ、とかひと騒動あったらしい。(当時の社長さんヤクザさんらしい🤫)

父方の親が王子製紙で働く前は、名古屋の製糸工場で働いていたそう。

結婚した後に、母方の親も名古屋の同じ製糸工場で働いていた事がわかり、驚いたそう。

運命っぽいですよね。

母は20代前半って言ってたかな?腸閉塞を患って、当時は治療が難しかったらしいんだけど、腕のいいお医者さんで、手術が成功。でも、将来出産などは難しいと言われたのに、

9年間で3人出産。私を43歳で高年齢出産。

亡くなる前数年間は認知症になってしまったんだけど、最後は

その昔患った腸閉塞のつなぎ目が時を経て劣化し穴が開いて入院、多臓器不全で亡くなりました。

父が経営していた小さな建設会社が私が三歳の頃倒産して、結果母の藁ぶき屋根の立派な実家を手放したり、60代頃まで浮気したり、虚言癖があったり、昭和の亭主関白だったりで、苦労が多かった母ですが、

父が償うように毎日母の介護を懸命にしていて、父の事をよく間違って、『お母さん!』って呼んでたのが懐かしいです。

それと…

戦争から始まって、この両親の間に生まれてきた事は、結構奇跡的だなって。

だから、よけいに、これからの人生は無駄にせず正しく生きたい。

生まれてきた事、ひみか様に出会えた事に感謝して、光のみなさんのおそばで

聖三活動頑張っていきたいです🙇(文章めちゃくちゃで、最後まで読める方がいるのか不明ですが💦)